「和漢百物語」は日本と中国の妖怪話や奇譚を題材にした芳年初期の代表作です。
芳年27歳、慶応元年(1865)の発行で師・歌川国芳から継承した勇壮な武者絵の表現に加え、歴史画に学んだ独自のアプローチも盛り込まれています。のちに流行を博した「ちみどろ絵」へと繋がる残酷描写も見られ、芳年作品の醍醐味を味わえるシリーズとなっています。
「和漢百物語」は全26図からなりますが、今回買取させて頂いたのはそのうちの12図。数回に分けてそれぞれの作品を見ていきたいと思います。
華陽夫人は「玉藻前(たまものまえ)」伝説をもとにした作品です。玉藻前は女性の名前で、美貌と博識を兼ね備えていたため後鳥羽上皇の寵妃として愛されましたが、その正体は邪悪な九尾の狐でした。結局、玉藻前はその正体を陰陽師に見破られ退治されました。実はこの九尾の狐の命は千年とも言われており、その悪行ははるか古代中国の殷時代にまで遡ります。殷の王をたぶらかし悪政をもたらしますが、結局太公望に退治されてしまったそうです。
その次に逃げ延びたのが天竺(インド)で、王子の斑足太子(はんぞくたいし)の妃・華陽夫人として現れます。
天竺では残虐の限りを尽くし、王子に命じて千人の首を切らせたそうです。本作が描くのはまさにその非道の場面。
異国情緒漂う植物、そこには槍に貫かれた生首が二つ串刺しになっています。
華陽夫人はその手にも生首をぶら下げており、氷のような目つき、そして一切の情が欠落したかのような冷酷な表情をたたえています。
全体に危険な妖艶さが滲み出ており、和漢百物語のシリーズ中、屈指の残虐性を本作は獲得しています。
本作はその構図などからギュスターブ・モローの描いた『出現』を想起しますが、『出現』は1876年の発表で和漢百物語よりも後になります。もしかしたらモローが「華陽夫人」を見ていた、などということは…あったりするのでしょうか。
<詞書>
『梵国の半俗太非華陽を愛して艶香に反し既に国政をミだして閻浮臺を寧魔麼す豈輿令にいりて菩戒をさまたぐるものから国民大に患て竟に大乱をこそ引いだしたり』
約37cm *25cm
裏打、欠損、シミあり
販売中