河鍋暁斎 「狂画 芋だこ合戦のづ(図)」浮世絵など買取させて頂きました 小金井市にて

小金井市にて河鍋暁斎 の「狂画 芋だこ合戦のづ(図)」など浮世絵版画や風刺画、戯画を多数買取させて頂きました

「あにいもこいものこらすかかれかかれ」

「むかうははちにんまえはたらくからみんなさうがかりでやれやれ」

「あいつらはいもいもしいやつらじゃ」

「みなのものおれが八人まえをはたらくからひとりでいくさあこいいもめら」

河鍋暁斎(天保2年(1831) – 明治22年(1889))は江戸末期から幕末、明治にかけて活躍した天才絵師です。
凄まじい画力で伝統的な花鳥画・山水画・歴史画から、浮世絵や風刺画、戯画まであらゆる画題を描き尽くしました。

猛烈に、画業に打ち込み作品を描きまくった様から「画鬼」とも渾名されています。

肉筆画にも多くの優れた作品を残した暁斎ですが、浮世絵版画も残しています。
わずか7歳で浮世絵師・歌川国芳に入門、通ったのはわずか2年足らずと言うことですが、国芳からの影響は多大なものだったと言います。

諧謔性や反骨心と言ったものはまさに国芳から引き継いだもので、幕末の激動期に暁斎は「狂斎」と名乗り、多くの風刺画や戯画を描きました。その内容は大変過激なもので、明治政府を辛辣にこき下ろしついには投獄もされています。

本作、「狂画 芋だこ合戦のづ(図)」はそうした暁斎の風刺画の一つです。
戊辰戦争を題材にしていると言われており、薩摩藩、長州藩、土佐藩を中心とした新政府軍と旧幕府軍の戦いをタコと芋に置き換えて描いています。出版統制が行われていた当時においてはこうした偽装が必要で、(ちなみに人間界の出来事を動物などに例えて描く手法は国芳が得意としたものです)こうした風刺画には、着物の柄や紋等に各藩などを示唆する暗号がちりばめられていました。

右側の芋の軍勢は新政府軍で、橘の着物が彦根藩、蝶が描かれているのが長州、亀甲が土佐、絣が薩摩など。
また左側の旧幕府軍で中央の當の字の鉢巻きをしているのは会津藩、烏帽子は庄内藩などを指しているようです。

関東に生まれた暁斎は、幕府軍を応援していたと言われています。
とりわけ作品の中央で大活躍している会津藩のタコが目立ちますが、暁斎は会津藩を勇敢武士の誉れと評価していたことが表れています。
タコと芋との関係性が不明ですが、一方の新政府軍は文字通り田舎者の芋扱い、ということなのでしょうか。想像が膨らみます。

幕末・明治期になると、浮世絵は人々に最新の情報をもたらすメディアとしての役割を担うようになっていました。
戊辰戦争勃発の初期から大勢を決した東北戦争までの間、戦局の推移に従った風刺画は大量に出版されました。

現在、これらの風刺画は当時の庶民の意識を反映したものとして、見直されているそうです。
今回、買取させていただいた風刺画をじっくり読み込んで、当時への理解を深めたいと思います。

※補足
以下のページが大変参考になりました。

http://ukiyoe.univie.ac.at/showresults.asp?Page=1&MaxDocs=&NumberOfHits=37&lang=j

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